2012年5月14日月曜日

「馬鹿」のはなし


馬鹿の語源の俗説として、「鹿をさして馬となす」(「史記(秦始皇本紀)」の故事から)がある。
秦の趙高が二世皇帝の
胡亥に、鹿を「馬である」と言って献じた。
胡亥は、最初は鹿だとわかっていた。
けれども、趙高の権勢を恐れ、「これは馬です」と答えるものや、「鹿です」と答えるものや、何も答えないものもいた。
胡亥は献上された動物がだんだん鹿なのか馬なのかわからなくなってしまった。

後日、「鹿です」と答えた者は暗殺された。
この後、趙高の専横をとがめるものはいなくなり、秦の滅亡は早まっていく。



えらい人がやってきて、

こうした方がいいよ。みんなやっているよと言う。

それを盲目的に信じる。または、なにかおかしいと思ってもそれに従ってしまう。

それは馬鹿と一緒なんだと思う。



このえらい人が悪いことをしようとして教えたわけではなくても、

そもそもこの人が馬鹿だったらもともこもない。



他人の言うことを聞くなということではなく、一度自分のフィルターを通して考えなければダメだ。

自分で考えて、同じ結論になれば、それで良い。



だから、大抵の場合、自分が選択した結果を他人のせいにするのはナンセンスなのだ。
 
 
 
自分のなかにある、なにかおかしいと思う感覚を大切にしたい。

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